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仲俣暁生 WEB版 REBOOTING PAPER MEDIA
少年向けライフスタイル指南書から、フェミニンなファッション誌へ 『POPEYE』の変遷にみるニッポン男子の35年

 いまの中年世代、とりわけアラフィフ世代には、『POPEYE』という雑誌に強い思い入れをもつ人が多い。青少年向け雑誌のあり方を根本から変えたといわれるこの雑誌も今年で創刊35年。当時15歳だった読者は、現在50歳になる。
 まさにその世代にあたる『QuickJapan』(太田出版)の創刊編集長・赤田祐一は、2002年に出た『証言集成「ポパイ」の時代』(太田出版)で初期『POPEYE』を絶賛している。木滑良久が編集長だった創刊号から124号までを「胎動~高揚期」、木滑が発行人に転じた125~176号を「興隆~爛熟期」と赤田は位置付けているが、事実「爛熟期」の終わる1984~85年には平均75万部という驚異的な部数をたたき出していた。この頃が部数的にも内容的にも『POPEYE』の黄金時代であり、いまなお中年世代が追慕の対象にしているのもほぼ、この時代のことである。
 創刊時のスタッフの一人で、のちに『Olive』『Hanako』『Relax』の編集長を歴任する編集者の椎根和も、『popeye物語~若者を変えた伝説の雑誌』(新潮文庫)という本を書いている。椎根は創刊時のこの雑誌にみなぎっていた雰囲気を「木滑王朝」と呼んだ。この本で引用されている、木滑による創刊号のマニフェストのなかの次の言葉は、初期『POPEYE』の新しさを象徴している。
 「好奇心のかたまりのような〈ポパイ〉は、どこへでも飛んで行き、どんな題材でもとりあげますが、ヌードと劇画は登場しません」
 当時の『POPEYE』には、編集者にもライターにも女性はおらず、「大学の体育会系の男子ばかりの部室」みたいだったと椎根はいう。創刊時の『POPEYE』のショルダーコピーは「Magazine for City Boys」。都会的で洗練された若者という読者イメージは「ポパイ少年」という言葉を生んだが、『POPEYE』の読者層はいまでいうオタクとも重なっていた。彼らの尽きることのない好奇心に対し、理屈ではなく事実(モノやコト)で応える雑誌、それが『POPEYE』だった。初期『POPEYE』の誌面は、ADの新谷雅弘によってたくみにレイアウトされた図版や短いコラム記事で埋め尽くされていた。このやり方はアメリカの『Whole Earth Catalog』や、シアーズローバックなど通販会社のカタログに倣ったものだ。赤田祐一はこの頃の『POPEYE』を「コラムマガジン」として高く評価しているが、「カタログ雑誌」と「コラムマガジン」は雑誌の手法として表裏一体の関係にあったといえる。

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文=仲俣暁生
『シティロード』『ワイアード日本版』などの編集を経て、現在フリー。本と出版の未来を考えるウェブメディア『マガジン航』の編集人も。