ポップで過激、本谷有希子のあたまの中

2012.10.3 12:00
(写真3枚)

回答に詰まると、片方の頬をぷくっと膨らませて考え込む。ふんわりした語り口にエアリーなショートボブがよく似合う。岸田國士戯曲作家で、小説家として芥川賞の有力候補者に名を連ねる本谷有希子。穏やかな佇まいとは裏腹に、作風はポップにして過激だ。トラウマを抱えた女が突如暴走したり、引きこもり気味な女がままならない日常に地団駄を踏んだり・・・。鬱々とした感情から人間の本質を暴いてみせる。一体にこやかなほほ笑みの奥底に、どんな本性が眠るのか? 代表作『遭難、』の再演に先駆け、気になる内面に迫ってみた。

取材・文/石橋法子 写真/バンリ

「『1+1はなぜ2?』とか言う、面倒くさい子どもでした」(本谷有希子)

──図書好きでテニス部部長も務めた中学時代。優等生のイメージですね。

実際は異端児でした(笑)。「本谷ってよくわからないね」「将来は社会不適合者だよ」と、みんなに言われてましたから(笑)。どこのグループにも属さず、1人図書室で本を読んだり、その時の気分で大人しいグループから華やかなグループまで、まんべんなく回ったり。「ゲスト」みたいな立場であることが多かったですね。

──部活ではどんな存在でした?

すごい変な人だったんですよ。「テニス部だからテニスを一生懸命するのって、どうなのかな」とか言い始めて、集団で鬼ごっこをしよう!と提案したり。普通に考えたらおかしな行動を、いかに何の疑問や違和感も抱かせずに実行させるかってことにハマッてました。人間をどう導けば、どう受け入れるのか。多分、人間というものが面白かったんでしょうね。最終的に「本谷が言うんだったら」と全員楽しんでノッてくれて。その姿に、みんなあんまり人の言うこと信じちゃいけないよって(笑)。

──その発想は、大好きな読書や何かの影響ですか?

うーん、特にないですね(笑)。同じようなことは小学生のころからやってました。これだと決められたことをそのままやるのが好きじゃなかった。学校とかシステムが苦手で。例えば、「1+1がなぜ2になるのか分かりません!」とか言う、面倒くさい子どもだったんですよ(笑)。こういうものだから、という理由だけじゃ納得できない。なんでそうなるの? なんでそうしなきゃいけないの? 突き詰めずにはいられない。

「すごい変な人だったんですよ」と自身について語った本谷有希子
「すごい変な人だったんですよ」と自身について語った本谷有希子

──高校では、演劇部に入られましたね。

舞台に立つことには興味や願望はあったと思う。でも結局「演劇って恥ずかしい」とすごく照れてしまって。実際にやってたことは演出、照明、音響と裏方ばかりでした。

──卒業後に上京されたときの心境は?

当時は、まだ就職したくないという気持ちが一番強かった。ひとつ上の先輩が俳優座に入っていたので、そういうのもいいなって、少し先輩を頼ってみたり。強い意志というよりは流れに乗りました。多分、先輩がいなかったら上京なんて考えもつかなかったと思いますね。

──19歳での単身東京生活はいかがでしたか?

とても辛い時期だったかもしれないな。弱みを見せずに背伸びして。東京に負けたくない、自分を自分以上の存在に見せようと、小細工をいっぱいしていたような記憶があります。

本谷有希子(もとや・ゆきこ)
1979年、石川県生まれ。2000年に「劇団、本谷有希子」旗揚げし、主宰として作・演出を手掛けるようになる。2006年『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞を受賞。2008年『幸せ最高ありがとうマジで!』で第53回岸田國士戯曲賞を受賞。小説家としても活動し映画化もされた「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」が三島由紀夫賞候補、「生きているだけで、愛。」は同賞および芥川賞候補となる。

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