日本のポップ・マエストロ、高野寛に訊く新バンドと今の音楽環境

2012.11.8 12:00
(写真4枚)

「軽い爆弾発言だけど、前よりだいぶ面白くない」(高野寛)

──状況が変われば聴こえ方が変わってくるという。

911をきっかけに拾っていた自分のなかの気持ちが、今の時代に別の立ち上がり方をしてきて、響いてくるということがいっぱいあって。さっきの、ストックの話にも繋がってくるんだけど、衝動で書くより、自分にとってはそうやって寝かせておいた曲の方が、ちゃんと時間が経っても古びずに聴けるかどうか、歌えるかどうかの、ひとつの試金石になってるんですね。

──それは、作っている時点で、10年後、20年後に聴けることを狙ってるんですか?

狙いというより、願いですね。僕自身、そういう音楽が好きだし、そこに一番価値があると思っているので。若いときから昔の音楽を遡って聴くということをやってきたし、あと、昔聴いていた音楽にしても、今聴くとなんだこりゃ、というものと、今聴いてもすごい、むしろ昔よりかっこいいというものがありますから。その違いはなんなんだろうって、いつも意識して捉えるようにしていて。

──たとえば、山下達郎さんは「30年後にも鑑賞に堪えうる」という言い方をしていますが、それは作り方によって違ってくるんですか? それとも、スタンスですか?

なんでしょうねぇ。その秘密は僕も知りたいくらい(笑)。まぁ、志というと大げさだけど、どこを見てるかによるのかなぁ。なにを目的に音楽をやっているかとか。少なくともお金じゃないとは思う。

──ミュージシャンとしてのプライドとか。

僕の場合はありますねぇ。プライドっていうか、体調の善し悪しみたいなもので、できた曲がどれくらいのポテンシャルを持っているか、そのときに分かるんですよ。イマイチな曲を世に出したくないし。でも、不思議なのは、さっきの話みたいに、時代が変わった瞬間、曲の輝きが違って見えることもあって。だからそこを見極める目線というのは、今もまだ育ててる段階で。面白いなぁって思いますね。

そういえば、この前、達郎さんのベスト盤を買ったんです。断片的に聴いてきた曲を時系列で聴いていくと、改めてものすごい人だなって思いますよね。今も活躍しているあの時代の先輩たちは、ヒストリーとして見たときのブレ無さ、とか、若い頃に作った曲が時代を超越している感じとか、やっぱりすごいものがありますね。

──達郎さんなんか第一線で活躍しながら、自分が聴いてきた音楽を消化して、ちゃんとルーツに敬意を払いながら、そこからどう自分の音楽として鳴らせるか、をずっとやってきてますよね。

いや、もう、そこに尽きますね。そういうのも聴いて、今でははっきりと違いが分かるようになってきてるんですよ。作り手がどれだけ音楽が好きかとか、いろんな音楽を聴いてるかと、そういうことがヴァイブとして分かるようになってきたので。僕が影響を受けた先輩は、さっき言ったように、音楽が大好きで、いろんな音楽を吸収して、なおかつ自分自身の個性が強くて、ちゃんと自分の方法でアウトプットしてる人たちばかりなので。自分もそうなりたかったし、先輩の背中を見てね、そういう気持ちでやってますね。

「時代が変わった瞬間、曲の輝きが違って見えることもある」と高野寛
「時代が変わった瞬間、曲の輝きが違って見えることもある」と高野寛

──今もそこは模索し続けるという。

みんなそうみたいですよ。こないだ細野(晴臣)さんとちょっと話してたんですけど、今でもやりたいことの3割くらいしかできないからねって言ってて。それぐらい、細野さんの頭のなかは今もいろんなイメージがあるらしいんだけど、なかなか時間が作れないから、順番にどれをやっていくか今も考えているって。

──死ぬに死ねない状況が今も続いていると。

そのようなことも言ってましたね(笑)。

──今回一緒にやられている伊藤大助さんは、そこにシンパシーを感じる若手ミュージシャンのひとりなんですか?

そうですね。やっぱりクラムボンの貫き方というのは、ものすごい頑固さですよね。僕から見ても、そこまで頑固に行くんだというくらい。そこは年齢に関わらず、すごくリスペクトしてるし、大ちゃんの場合は、2人で一緒にやったときに生まれるなにかがあるんですよね。やっぱりライブが一番本領が発揮される場所かもしれないですね。

──そういう意味でもライブ盤に。

必然的にそうなったのかもしれないですね。しかもああいう音を2人で、サポートメンバー入れないでやっているというのは僕らの特徴のひとつだし。

──そこが今回のライブ盤を聴いて、改めてすごいなと思った部分なんですけど、キャリアやテクニックが足りないと、いろんな音を被せて、なんとか華やかに、ポップに作ろうとしがちなんですが、2人だけでもこんなに芳醇な音楽ができるんだと。

僕もね、たぶん、スタジオに入っちゃうとそういうクセはなかなか抜けなくって、だから、最初に曲を録音するところから始めていたら、そうなっていた危険があったんですよ。でも、そうなりたくなかったので、あえて最初にライブを持ってきて。自分のソロのときもそうなんだけど、レコーディングのキャンバスというのは、自由に絵を描けるようでいて、やっぱり時間軸と関係ないところで音を重ねちゃうと、それはステージでは再現できなくなるので。ライブで鳴って初めて、音が生きてくるので。

──いいアルバムですよね。ライブの空気感も含めて。

うん。今聴いても貴重な記録ですね。アルバム中盤の、グワーッという感じとか、ステージ上じゃないと出せないですねぇ。やっぱり自分の中に感覚的な、動物的な部分があって、お客さんの反応がものすごくステージ上の演奏に返ってくるんですよね。客席が盛り上がると、演奏のテンションも変わるし、お客さんが静かに聴いてるとどんどん冷静になる、当たり前のことなんだけど、ステージの上でしかありえないことだから。要はどこに向かって歌うのかってことですよね。

──かといって、スタジオレコーディングに飽きた、というわけではないですよね?

う~ん。まぁ、これは軽い爆弾発言なんだけど、前よりだいぶ面白くないです、特に一人多重録音は。それはね、3年くらい前に曽我部くんが言ってたんだけど、ライブに比べて録音された音源の価値がだいぶ落ちたと。CDがコピーされるようになってからですよね。

で、だんだんCDが売れなくなってきて、でも、ライブの動員はわりといい状態が続いていて。もちろん、スタジオでの録音が始まると没頭するんだけど、ステージなら迷わず歌えるはずの歌が、スタジオだとこぢんまりしてしまうのは何故だろう? と思ったり。

高野寛

高野寛(たかの・ひろし)
1964年生まれ、静岡県出身。大阪芸術大学卒業。1988年、シングル『See You Again』(高橋幸宏プロデュース)でデビュー。1990年リリースの『虹の都へ』『ベステンダンク』(共にトッド・ラングレンのプロデュース)が大ヒットを記録。また、Nathalie Wise、GANGA ZUMBA、pupaなど、バンドでの活動も精力的におこなっている。これまでにベスト、ライブ盤を含む16枚のアルバムをリリース。2012年1月にクラムボンのドラマー・伊藤大助との2人組バンド、高野寛+伊藤大助を結成した。

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