熊切和嘉監督「自分なりのニューシネマ」

2016.9.2 18:00
(写真3枚)

『MASTERキートン』など多くの浦沢直樹作品に関わってきたリチャード・ウーと、『超・学園法人スタア學園』などで知られるすぎむらしんいち描いた名作漫画『ディアスポリス-異邦警察-』。4月には、そのテレビドラマ版が放送され、トーキョーに暮らす密入国者たちを全身全霊で守る「裏都庁」の警察官・久保塚を松田翔太が熱演したが、その劇場版がいよいよ9月3日、公開される。監督は、『夏の終り』(2013年)、『私の男』(2014年)などの熊切和嘉。文芸作品で知られるが、実はこういったプログラム・ピクチャー的作品が大好きな監督だ。

取材・文/春岡勇二

「ひそかに自分のニューシネマを撮ってやろうと」(熊切監督)

──この映画のオファーを受けたとき、監督はパリにいらしてたんですよね。

ええ、文化庁の海外研修制度を使わせてもらって、8カ月向こうにいて、映画ばかり観ていました。

──オファーがくる以前から、原作はご存知でしたか?

いや、実は知らなかったんです。なので原作も送ってもらって読んで、これはピッタリだなと思いました。

──ピッタリと言うのは?

僕がパリで住んでいたのは18区なんですが、はっきり言って治安があまり良くないところなんです。あのリュック・ベッソン監督の『ニキータ』(1990年)のオープニング・シーンが撮影されたところですから(笑)。路上でなんでも売っているし、僕もお金をすられたりしましたし。そこで身をもってわかったのは、違うルールで生きている人間たちっていくらでもいるんだな、ということでした。でも、あの街で罪を犯している人たちも絶対悪というわけではなくて、おそらく家に帰ったら家族もいるだろうし、それぞれの人生もあるだろうし、ほんとにルールが違うだけなんだよなって、だから世界は面白いと感じていたんです。ただ、この感じは日本ではなかなか味わえないので映画化するのは難しいかなと思っていたら、それが原作の『ディアスポリス』で描かれていたわけです。

「自分のニューシネマを撮ってやろう」と語った熊切和嘉監督
「自分のニューシネマを撮ってやろう」と語った熊切和嘉監督

──なるほど。それですぐに仕事を引き受けられたわけですか?

ピッタリと思えたものが、実はもうひとつあったんです。パリでは映画ばかり観ていたのですが、特に多かったのが1960年代末から70年代のアメリカ映画、いわゆるアメリカン・ニューシネマだったんです。向こうではすごく人気があるみたいで、多くの映画館で上映していました。僕も大好きでしたし、機会があればこういう映画が撮りたいとも思っていました。そんなとき読んだのが原作にあるエピソードのひとつで、今回映画化した「ダーティ・イエロー・ボーイズ」編。これがまさにニューシネマ的内容で、この話が映像化できるのなら仕事させてもらおうと思いました。テレビドラマのシリーズを装いながら、ひそかに自分のニューシネマを撮ってやろうと(笑)。

──『ディアスポリス』は4月からテレビドラマとしてまず10話が放送されて、今回、映画が9月に公開されるわけですが、初めから並行して製作する予定だったのですか?

プロジェクトとしてはそうです。ただ、僕は最初、何人かの監督たちと一緒にテレビ版だけを作るはずだったんです。それが、映画を撮る予定だった監督がスケジュールの都合で降板されて、そこで『私の男』でも組んだ西ケ谷寿一プロデューサーから「熊切くん、やらない?」と声を掛けてもらったのですが、そのときも「ダーティ・イエロー・ボーイズ」ができるならと答えました。その企画が通って、テレビ版ではほかの話を演出するという運びになったわけです。

──テレビと映画の両方を撮られることになって、差別化を図ろうという考えはありましたか?

そうですね、特に強く意識したわけではないですが、テレビ版は、主人公たちの根城であるトーキョー裏都庁の周辺で事件が起こり、それを主人公たちが追っていく、いわば「裏都庁日乗」的物語ですが、「ダーティ・イエロー・ボーイズ」編はトーキョーを飛び出して西へ西へと流れていく話で、だから初めから違う感じの作品になると思っていました。

映画『ディアスポリス -DIRTY YELLOW BOYS-』

2016年9月3日(土)公開
監督:熊切和嘉
出演:松田翔太、浜野謙太、須賀健太、安藤サクラ、柳沢慎吾
配給:東映 PG-12

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