大阪キタの名ハコ、バナナホール復活

2017.5.12 08:00

バナナ名物の樽とともに、代表の高木健至さん

(写真4枚)

まだライブハウスが今ほどに当たり前の存在ではなかった1981年にオープンし、大阪・キタを代表するハコとして親しまれてきた「バナナホール」。2007年には惜しまれつつ25年以上に及ぶ歴史に幕を閉じ、その場所で現在は「umeda TRAD(元umeda AKASO)」が運営されているが、10年の時を経ておなじく堂山町エリア内に移転し、今年4月1日に復活。

その名の通りにイエローを基調としたロゴ、トレードマークだったフロアに置かれた樽、ステージ上の照明の一部などは元の場所から引き継ぎながら、新しさと懐かしさが同居した音空間に生まれ変わっている。本格的な再始動に向けてさらなる音響の調整などの準備が着々と進むなか、代表の高木健至さん、現在のビルを所有する同和観光株式会社の八城昌博さん、店長兼ブッキングマネージャーの今富一機さんに話を聞いた。

取材・文/吉本秀純

──81年にバナナホールがオープンした当時というのは、大阪でもまだまだライブハウスは数少ないものだったと思うのですが。

高木「そうですね。梅田ではほかにはバーボンハウスくらいでしたかね。で、前のバナナホールの隣の隣にバラードというライブハウスもあったんですが、そちらを経営されていたのが同和観光さんだったんですよ」

八城「最初はバラードを復活させようと考えていたんですが、高木さんに相談したところ『もう一度バナナホールをやりたい』という想いを知って。バナナホールの方が知名度も高かったので、ぜひ復活させようと決意しました」

──最初期のバナナホールというのは、どのような出演者が多かったんですか?

高木「もともと最初はジャズ系のハウス・バンドを入れていたんですよね。でも、それだけでは人が入りませんので、イベンターさんとかいろんな方と知り合いになりながら、ボチボチとスケジュールを埋めていったんです。世間的なイメージとしますと、やっぱりアコースティック系のライブハウスというイメージが強いと思うんですけど・・・(実際には)そんなこともなかったんですよ(笑)」

猿のモチーフもところどころに

──そうですね(笑)。ブルースやアコースティック色の強い音もちゃんと映えるハコという印象は強くありましたが、90年代以降は若いロック・バンドが主流だったイメージですし。

今富「僕は93年くらいまでバナナホールで働いて、その後にギタリストとして在籍していた太陽の塔というバンドでメジャー・デビューして上京したんですけど。当時仲の良かったオセロケッツにしても、キュリオにしても、タートルズにしても、みんなバナナホールに出演していましたね」

──メジャー・デビュー前のグレイプバインなども関わりが深かった記憶があります。

今富「そうですね。グレイプバインはバナナホールのレーベルから1枚CDを出していましたから」

──ほかにもBEGINなど、ゆかりの深いバンドを挙げ始めるとキリがないと思いますが。

今富「90年代より前の世代では、個人的には僕が高校生の頃にKATZE(※88年にデビューし91年に解散)というバンドがいて。それが僕がバナナホールに最初に観に行ったバンドだったんですけど、解散するときにフェスティバルホールでの一番最後の公演の前にバナナホールでシークレットライブをやったのが忘れられないですね。酸欠で倒れた人を運ぶのが大変でしたけど(笑)」

「LIVE HOUSE バナナホール」

住所:大阪市北区堂山町1-21 モンテビルB1
電話:06-6809-3016

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