滋賀ゆかりの朝鮮通信使、世界の記憶登録

2017.11.8 06:00

『琵琶湖図』(県所有・琵琶湖文化館保管)に描かれた、朝鮮通信使の一行。400~500人のかなり長い行列になった(拡大図)

(写真2枚)

江戸時代、朝鮮王国と日本を往復した外交使節「朝鮮通信使に関する記録」が、ユネスコの「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されることが決定。ゆかりの深い滋賀県もよろこびに湧いた。

今回の登録は、日本のNPO法人「朝鮮通信使園地連絡協議会」(長崎県対馬市)と大韓民国の「釜山文化財団」が、2012年から記憶遺産への登録を目指して活動をおこない、2016年に共同申請したもの。幕府の招きで朝鮮国から日本へ往復した外交使節である朝鮮通信使は、全12回の来訪のうち、10回を滋賀にある「朝鮮人街道」を往復していたという。野洲市からは始まるその街道は見渡しがよく、特に安土城から彦根城にまっすぐと伸びる道からは広大な風景を眺めることができる。三日月大造滋賀県知事も、「滋賀県民にとりまして大きな喜びです。異文化を理解する『近江の心』で朝鮮通信使と交わられた雨森芳洲先生も、さぞかしお喜びのことと存じます」とコメントした。

朝鮮人街道沿いにある伴家住宅。朝鮮通信使の瓦人形や当時食されたとされる昼食の復元レプリカを見ることができる

同街道は、幕府や朝廷らが通る御所街道とも呼ばれ、いかに彼らを優遇していたのが分かる。異国情緒漂わせる色鮮やかな格好で、団扇や傘やのぼりを持った約500人の大移動があった同街道は「縁起のいい道」とされていたそう。現在は、そのそばを新幹線が走っているが、当時は徒歩と馬で移動していたため、往復するのに1年を費やしたそうだ。四季を感じながら日本を移動した使節団と幕府らがどういった交流をしたのか、登録を機に今一度、歴史を振り返ってみるのもいいだろう。

取材・文・写真/岡田由佳子

滋賀県

NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会

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