エールで見る「売れる音楽を作る才能」木枯と裕一の違い

2020.6.2 19:15

第33回より、夜のカフェーにやってきた木枯(野田洋次郎)と裕一(窪田正孝)(C)NHK

(写真24枚)

「木枯と裕一の違い、西洋音楽の昇華」

劇中の「木枯」は、福岡人で西洋音楽(つまりクラシック)など聴いたこともないと言うが、モデルである「古賀」は先述したようにもともとは明治大学マンドリン部きっての秀才であるから、最初はむしろそっち側の人であったと思える。

ただ古関裕而≒裕一と違うのは、西洋音楽の知識を自分自身のオリジナルなものとして昇華し、実際に音にできたかどうかだ。その点では圧倒的に古関のほうに才があった(まだこの時点では開花していないが)。

自宅に招いた木枯(野田洋次郎)と語り合う裕一(窪田正孝)(C)NHK
第32回より、自宅に招いた木枯(野田洋次郎)と語り合う裕一(窪田正孝)(C)NHK

しかしレコード会社に求められているものは、そうしたクラシック的才能ではまったくなかった。ディレクターの廿日市が求めるのは大衆的な「売れる」音楽である。

当時のコロムビアレコード(≒コロンブス)の社史には詳しくなく、いろいろ調べたものの判らないのだが、このドラマ内では「青レーベル=クラシック的芸術曲」「赤レーベル=大衆曲、流行歌」というふたつの括りがあるらしい。

青レーベルの「顔」はいうまでもなく小山田である。裕一がなんとか契約にこぎつけたのは赤レーベル。すなわち、彼が追求してきたものとは畑の違う音楽だ。

凝った和声やリズム構造はまったくないものの「あんな単純なメロディなのになんで心を打つんだろ」と、木枯の弾き語る歌にさらに謎が募るばかりの裕一なのである。

さて、音楽学校の「プリンス」の正体は、なんと幼少期の数少ない理解者であった県会議員の息子、佐藤久志であった。ということはモデルは歌手の伊藤久男。

古関裕而作曲による『イヨマンテの夜』の豪放な歌唱は僕の子ども時代、よく歌謡番組で聴いたものだ。実際に彼は「帝国音楽学校」に在籍していたが、史実では同郷の古関とは東京で知り合ったらしい。

日本を代表する西洋音楽の作曲家・小山田耕三(志村けん)に挨拶する裕一(窪田正孝) (C)NHK
日本を代表する西洋音楽の作曲家・小山田耕三(志村けん)に挨拶する裕一(窪田正孝) (C)NHK

裕一は、ようやく作曲法をその著書で学んだ心の師・小山田(志村けん)にレコード会社で出会うことになる。もちろん裕一はその小山田の推しでコロンブスに入社できたことを知らない。

それにしても「君は赤レーベルでどんな曲を出したのかな?」とけんもほろろ。尊敬する人物に会ったら会ったでプレッシャーは増すばかり、しかも冷厳な言葉まで投げられて裕一は神経性胃炎で倒れてしまうが・・・、そんなとき何故か家にズカズカいかつい男たちが踏みこんでくる。さて、どうなる裕一(笑)。

【今週出てきた曲】
●モーツァルト/歌劇『ドン・ジョヴァンニ』より『お手をどうぞ』(佐藤久志と夏目が二重唱する曲)
●古賀政男『影を慕いて』(木枯の初レコード化曲として)
●ヨハン・シュトラウスII世『美しく青きドナウ』(音が蓄音機とともに買ってくるレコード)
●ヴェルディ/歌劇『椿姫』より『乾杯の歌』(記念公演『椿姫』の第一次選考会で音が歌う曲)

文/ミルクマン斉藤

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