絶滅寸前? 南大阪独自のファッション「岸カジ」の正体を調査

2022.5.17 07:00

2013年頃の「岸カジ」スタイル(写真提供:ミックスモーション)

(写真6枚)

大阪・岸和田市を中心に、1990年代から2010年代前半にかけて泉州地方で流行ったストリートファッション「岸和田カジュアル」(略して岸カジ・キシカジ)をご存じだろうか。最近ではほとんど見なくなったが10年ほど前、泉州出身の筆者が中学生だった頃までは、街中の中学生たちがその独特なスタイルに身を包んでいた。

一見するとアメカジだが、なんとも形容しがたい特徴を持つ「岸カジ」。ビルケンシュトック、ヴィンテージ感のあるジーパン、ヒッコリー生地のオーバーオール、古着風のロゴT、そして、だんじりのタオル・・・など。アイテム単体のイメージは出てくるものの、確固たる定義がない。

同じく泉州出身の先輩スタッフに聞いたところ、「岸カジといえばエビスのジーパンにティンバーランドのブーツやろ」と、時代によって少しずつ変容を遂げているようだが、その起源は謎のまま。調査しようにも資料がなさすぎる・・・。泉州っ子が愛したファッション「岸カジ」とは一体何だったのか、そしてどこへ行ったのか?

■ 当事者も詳しくわかっていない「岸カジ」

その正体と現状を探るべくやってきたのは岸和田市民御用達のショッピングモール「カンカンベイサイドモール」。さっそく話しを聞くため、当時「岸カジブランド」とも呼ばれたショップ「ミックスモーション」へ。

南大阪を中心に運営するアパレルショップ「ミックスモーション 岸和田カンカンEAST店」

女性店員さんに事情を説明する際、「岸カジ」の名前を出すと「なつかしー!!」と一言。約20年前の中学時代に、自身も「岸カジ」ファッションを嗜んでいたそうだ。その定義について聞くと、「え〜なんやろなぁ、古着? ジーパン? あとなんか、だんじりのタオルとか首に巻いとったわ! そんときは自分の町のタオル巻くのがかっこいいと思ってたもん、巾着とかな。でも最近は全然見やんな」

正式な定義があるわけではないが、なんとなくアメカジスタイルにだんじりグッズをアイテムとして取り入れる独特な風潮があることを確認。しかし、その発祥については着ていた本人も謎だという。また、現状に関してはやはり減ってきているという。

■ 知られざる岸和田とアメカジの関係

今度こそ起源まで遡るべく、岸和田で長年セレクトショップ「THE MAGIC NUMBER」(岸和田市北町)を営み、大阪のファッションシーンに携わってきた西村茂晃さんに話を聞いた。

長年関西のファッションシーンに携わってきたセレクトショップ「THE MAGIC NUMBER」の店主 西村茂晃さん

——岸和田でアメカジが流行ったきっかけはご存じですか?

元々岸和田の僕らの先輩世代(現在60・70歳世代)は、アメリカに行ってた人が多かったんですよ。アメ村とかで商売するためにね。当時はドルが高いし、アメリカで買い付けをしようとすると古着ぐらいしか買えなかったはず。

そうやって古着が大阪にカルチャーとして入ってきて、先輩が着てる服を後輩が売ってもらい、後輩が着てたのをまた下に、それがやがて飛び越えて子どもにいったりして、知らず知らずのうちにこの土地に根付いていったんやろうね。だから一般的に言うアメカジ的なアイテムが昔から自然と身近にあったよ。

——大阪にアメカジが渡ってきた背景にはそんな事情があったんですね。 でも、移り変わりが激しいファッショントレンドのなかで、なぜここまでアメカジが岸和田に根付いたんでしょう?

これは街の特色っていうか、だんじりの影響もあると思うけど、人間のタテの繋がりが強い。みんな碁盤の目でつながってるっていうか。ほかってそうじゃないでしょ? 横の繋がりはあっても、クラブとかスポーツをしてへん限りはタテの繋がりってなかなかできひんけど、この街にはそれがある。結局ヒストリーってタテの中にあると思うから。受け継がれていくうちにひとつのカルチャーになって、気づいたときには「岸カジ」って呼ばれるようになってたな。

■走り込みが起源? 独特の岸和田らしさ

——岸和田という街の特性があったからこそ、30年以上に渡って同じスタイルが受け継がれ、根付いていたんですね。では、岸和田独自の要素が入ってアメカジから「岸カジ」になった背景には何があったんでしょうか?

やっぱり、この辺は特有のだんじりがあるじゃないですか? 青年団(若い世代の組織)の子らが遊びに行った延長で夜に(だんじり祭り本番のための)走り込みをするんですけど、そこでだんじりの町のロゴが入ったタオルを巻いていくんですよ。最初は用途やったタオルが、みんな巻いてるからってだんだんファッションアイテムのひとつになっていったんやと思うよ。

■一時期泉州一体を席巻した「岸カジは」どこへ?

——最近は泉州でも「岸カジ」ファッションをあまり見なくなったのですが、なぜなのでしょう?

岸カジの寿命が他のファッションと比べて長かったのは、岸和田独特の上下関係があったからだと語る西村さん

今は選択肢がめちゃめちゃあるからっていうのが原因のひとつにあると思う。でも、未だにここらの中学生・高校生ぐらいの子らが、お父ちゃんのデニムが欲しいと思うみたいで、それはきっとお父ちゃんがデニムを大事に履いてたのを見てたからやろうし、そうゆうもんのかっこよさは知らん間にインプットされてんねやろね。

——「岸カジ」というファッションが無くなりつつある現在でも、それが発展した背景にある「タテの繋がりを大切にする」という思いは今の中高生にしっかり根付いているんですね。 ありがとうございました!

だんじりがある限りほぼ永久に続く岸和田(泉州)独特のタテの繋がり。それがあったからこそ移り変わりの激しいファッショントレンドにも負けず、そのスタイルが受け継がれたのだろう。

ひとつのファッションカルチャーとして発展した「岸カジ」を探っていくうちに、「岸和田」という街の、情に厚く面倒見の良い地域性が垣間見れた気がする。

取材・文/Lmaga.jp編集部

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