オール巨人が歩んできた漫才道「お客さんに見てもらってなんぼ」

2022.6.26 09:00

書籍『漫才論:僕が出会った素晴らしき芸人たち』を上梓した漫才師・オール巨人

(写真5枚)

「しゃべり」ひとつで無限の笑いを生み出す漫才。そのトップランカーとして、実に40年以上にわたって劇場を沸かせ続けているオール阪神・巨人は、まさに生き字引的な存在だ。今回、『漫才論:僕が出会った素晴らしき芸人たち』(ヨシモトブックス)を出版したオール巨人に、これまで歩んできた漫才道を訊いた。

取材・文/ミルクマン斉藤 写真/渡邉一生

「漫才師が漫才に帰ることはない」(オール巨人)

──3月に上梓された『漫才論:僕が出会った素晴らしき芸人たち』も読ませていただきました。とりわけ現在の漫才、これからの漫才に向けて、提言や焦点を記されていましたね。

そうなっているとは思いますね。でも、舞台からラジオ、テレビへと、芸人が活動するメディアはだいぶ変わってきましたね。

──漫才師も、途中から漫才辞めてタレントになられるケースもかなり一般的になってます。

そうですね。漫才はロイター板みたいなもんで、そこでぽんと跳ねてよそへ飛んでいくというのは全然アリやと思いますよ。一生漫才をやるとかいう考えでやらんでもええと思うし。まあ、続けて欲しい人はいてますけどね。

──ちょうど笑福亭仁鶴さん、桂三枝さん(現・6代目桂文枝)が司会をつとめた大ヒット番組『ヤングおー!おー!』(毎日放送・1969年放送開始)の頃から、落語家さんがタレントさんになったり。

当時、批判はあったと思うんですよ。先輩方からは「落語家がなにやっとんねん」とか。

──でも総じて、落語家さんの多くは落語に回帰されている方が多いですね。

ちゃんと帰るところは作っているというか、自分のホームはきっちりしてる。(明石家)さんまくらい違うの? 落語せぇへんの。(笑福亭)鶴瓶さんはもちろん落語やってはるし、(月亭)八方師匠もいろんなことやってはったけど、必ず落語に帰ってる。ただ、タレントになった漫才師が漫才に帰ることはまずないと思いますね。

オール巨人著『漫才論:僕が出会った素晴らしき芸人たち』(ヨシモトブックス・1650円)

──ホント、その通りですよね。そのなかでも、オール阪神・巨人はずっと漫才に徹しておられますが。

まあ、僕らはよその世界に出ていったことがないから。まあ、漫才しかできなかったんですが(笑)。噺家さんには古典があるんですよ。古典がある程度できるようになって、いろんなとこ行って、タレントやったり俳優やったりして、最終的には古典に戻って、そこからオリジナルの新作やって。でも、漫才には古典がないから。

──まあ、横山エンタツ・花菱アチャコさんのネタを、今そのままやるってワケにはいきませんもんね。クラシックの再現企画ならともかく。

それは絶対ウケへんわ。落語はゆっくり上手さを聞くとか、人情話で涙を流すのもあるやんか。漫才はお客さんが「笑わせてくれ」と言うて劇場に来はるからね。人情話やってもしゃあない。

──それは落語との差別化から生まれた現在の漫才が、元から宿していた運命だったのかもしれませんね。

もっと前に戻れば三河万歳(愛知県の旧三河国地域に伝わる伝統芸能)とか、鼓を持ってやってた音楽漫才とか、その辺から派生したものやと思うんやけども。落語よりも自由にやりたいなと思う人が漫才を始めたんと違うんかな。

噺家さんでも枕でいろんな自分の体験をしゃべったり。新ネタというか、新作落語というか、昔の落語とちょっと変わってきたと思うけど。

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