映画評論かくあるべし、ミルクマン斉藤さんを偲び【映画担当】

2024.7.31 21:00

在りし日のミルクマン斉藤さん(写真/木村正史)

(写真1枚)

2024年の年明け早々、1月2日に肝腎不全で亡くなった映画評論家のミルクマン斉藤さん(本名:斉藤和寛)。膨大な情報量と鋭く深い洞察力、そして他を圧倒する審美眼をもって映画を観続けた姿はまさに「サブカルチャーの巨人」たり得るもので、関西を拠点にしながらも東京の映画人にも一目置かれる存在だった。

ミルクマンさんよりひと回りちょい年下で、晩年、(物理的に)もっとも近くにいる編集者となった私だが、カルチャー誌『relax』や『映画秘宝』への寄稿、ピチカート・ファイヴのVJとして活躍されたこともあって、当然その名前と仕事ぶりは知っていた。その後、映画担当となり、直接お仕事をするようになるが、映画評論家・ミルクマン斉藤のスゴさを思い知らされたのは、監督インタビューの場面だった。

まず、予習からして違う。映画業界の重鎮にも関わらず、対象の映画を観るときは常に手元でペンが走っているし、原作モノであれば自ら購入して読むし、過去作や関連作があれば当然それもチェックする。これ、インタビュアーなら当たり前のようにも思えるが、実はなかなか難しい(どこぞの評論家が3本同時に観るなんてことを放言していたが、あまりにも失礼で破廉恥極まりないことだ)。それを40年近いキャリアを通して続けてるわけだから、その情報量はいわずもがなである(そういえば、「今年は全然映画観れていない」と言うから、聞き返したら「500本」とも言っていた)。

宣伝のためとは言え、毎回毎回同じ質問をされる監督にとって、インタビューはなかなかの苦行だと思う。だが、ミルクマンさんのインタビューは、多くの映画人がニコニコ顔で楽しみにしてくれていた。ウィキペディアな情報だけじゃないから、他のインタビュアーではたどり着けないポイントを突いてくれるし、監督自身が気づかなかったことをも指摘してくれたりするから。横で拝聴できる私の役得といったら、この上ない。

行定勲監督の『ナラタージュ』インタビューでは、映画好きの主人公(松本潤)の棚に「シネフィルだけが読んでいた雑誌『イメージフォーラム』がある」といい、さらに「キム・ギヨンのDVDボックスがあった」と語ったミルクマンさん。それを訊いた行定監督は、「それを指摘した人は初めて。だってあれは、ミルクマンさんのためにやったんだからね」と明かし、「あえて置いたんです、ミルクマン斉藤なら分かるだろうって」とニヤリ。

木村拓哉&綾瀬はるかの共演で話題となった大友啓史監督『レジェンド&バタフライ』では、「信長の肩に止まる、あの青い蝶。蝶は何度か出てきますが、あのシーンはとにかく印象的」と語るとドイツの鬼才ヴェルナー・ヘルツォーク監督が撮ったドキュメンタリーにまで話がおよび、大友監督に「あそこのショットが、この映画のキーショットだと思っていて。よくぞ言ってくださいました、って感じです」と言わしめた。

『竜とそばかすの姫』の細田守監督とは、主人公・すずを見守る女声合唱隊にひとりに、「伝説の映像作家・佐々木昭一郎のミューズ」と称された中尾幸世を起用したことについて、「びっくりしたのはなんといっても合唱隊のなかに、中尾幸世さんがいることですよ」と話し、細田監督も「でしょ~!!! 憧れの(調律師の)A子ですよ。この話、若い人にするとポカーンってされるけど(笑)」と声をワントーン上げて喜んだ。

『孤狼の血』が公開された際には、白石和彌監督と飲みながら対談し、松竹の山根成之作品の影響を指摘しつつ、「ボタボタの雨が降ってくるシーンがあるやん。あの四畳半青春映画っぽさはもちろん、空間と照明も含めて、なんか山根っぽいなって。あの一連のシーンは完璧だと思う」と熱弁。白石監督も思わず「そのシーンでそこまで語る人、初めてですよ」と、半分あきれながらも嬉しそうに笑ったのが印象的だった。

・・・とまぁ、こんな具合に、ミルクマン斉藤でなければ引き出せない場面に多く立ち会うこととなった。どの作品でも初めて仕事をするような情熱をもち、作品に関わるすべての人に対する敬意を忘れなかったミルクマンさん。批評をひとつひとつ丁寧に、約40年にわたって積み上げていき、その幾重にも重なったレイヤーは分厚い知識と化す。それゆえに我々では気づかないモノを見いだしてきたミルクマンさん。映画評論かくあるべし、をここに記して、ご生前の功績を讃えたい。

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