傲慢な歌ではなかった? 道長「この世をば〜」に様々な解釈【光る君へ】

2024.11.21 18:30

満月を見ながら歌を詠む道長(柄本佑)(C)NHK

(写真9枚)

平安時代の長編小説『源氏物語』の作者・紫式部(ドラマでの名前はまひろ)の人生を、吉高由里子主演で描く大河ドラマ『光る君へ』(NHK)。11月17日放送の第44回「望月の夜に」では、藤原道長の有名なあの歌がついに登場。そこに込められた道長の思いについて、SNSではさまざまな意見が飛び出し、この歌が単なる自慢の歌とは限らないという、認識を改めるきっかけとなった。

■ 道長から摂政と左大臣の職を辞すと相談され…第44回あらすじ

父・藤原為時(岸谷五朗)が、家族たちに出家する決意を明かすなか、まひろは『源氏物語』の続編を書きつづけていた。そんな折り、まひろの房を藤原道長(柄本佑)がたずねてきて、摂政と左大臣の職を辞すことを相談。まひろは道長の「民を思いやる心」が息子たちに伝わっているかどうかを問うが、それになんの意味もないと道長は返答。まひろは道長の思いは、時を経ればなせるかもしれないと言って励ました。

頼通(渡邊圭祐)による美しい舞 (C)NHK

道長は嫡男・頼通(渡邊圭祐)に摂政の座を譲り、即位した後一条天皇(橋本偉成)に娘・威子(佐月絵美)を入内させた。それにより、彰子(見上愛)は太皇太后、妍子(倉沢杏菜)は皇太后、威子は中宮と、道長の娘たちが3つの后の位を独占することに。その祝いの席で道長は、満月を見ながら「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌を詠む。藤原実資(秋山竜次)の提案でその場にいる皆が道長の歌を唱和する姿を、まひろは感慨深く眺めるのだった。

■『光る君へ』ではどう解釈するか、注目が集まっていた道長の歌

まひろが『源氏物語』の執筆を開始する瞬間と並んで、すべての視聴者がこのときを待っていたと言っても過言ではない。藤原道長を象徴する、日本の歴史上もっとも有名な歌の一つ「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」が、ついにこの第43回で登場した。このドラマが放映される前日の11月16日は、ちょうどリアル道長がこの歌を詠んだ晩と、ほぼ同じ状態の月が登った夜。SNSでも評判となっていたので、見上げた人も多かったのではないだろうか。

祝いの席での道長(柄本佑)(C)NHK

さてこの歌の意味だが、歴史の教科書などを通じて「娘3人を入内させ、栄光の絶頂にある道長が『この世は俺のもの』と、自己満足フルスロットルで詠んだ歌」と思っていた人も多いだろう。しかしこの歌は道長が文章で遺したものではなく、歌を詠む現場にいた藤原実資が、日記「小右記」に書き記したことで世に伝わった。なので「この世ではなくこの『夜』では?」「だったら意味が変わってくるのでは?」など、実は最近になって解釈が見直されているところなのだ。

とくにこの『光る君へ』の道長くんの場合、まひろとの約束で権力ゲットには大変熱心だけど、だからと言って「俺ってすげえだろ?」と自慢をするようなタイプでもない。一体どんな心境で詠われるのか? と思っていたが、SNSでは「后となった3人の娘たちへの思い」「陰りが見えた人生への挽歌」「まひろとの愛の総決算」みたいな、さまざまな意見が飛び出てくる、非常に味わい深いシーンとなっていた。

■ なんだか道長がかわいそうに思えてくる「望月の歌」解釈

まず「后となった3人の娘たちへの思い」という意見。第36回で彰子が後一条天皇を生んだあと、まひろが彰子を月の光になぞらえた祝いの歌(めづらしき 光さしそふ さかづきは もちながらこそ 千代もめぐらめ)を、道長に送ったのを覚えているだろうか?。

月を后の暗喩ととらえ、なおかつ「このよ」を「この夜」と解釈したら、娘たちの誰もが完ぺきな地位についた最高の夜だ・・・という風に考えることができる。ただもしそうだとしても、娘たち全員が多かれ少なかれ、自分を無理やり入内させた道長のことを軽蔑しているという事実を考えると、逆に物悲しい歌に思えてしまうのだが。

彰子(見上愛)は太皇太后、妍子(倉沢杏菜)は皇太后、威子(佐月絵美)は中宮に (C)NHK

次の「陰りが見えた人生への挽歌」。この立后の祝宴での道長の表情は、祝いの喜びに満ちたものではなく、どこか冷めたものだった。権力を独占していることを周囲から煙たがられ、すべての職を辞した直後だけに、「望月の欠けたることもなし」という心持ちは、現代進行形ではなくもはや過去形なのかもしれない。そういう寂しい気持ちを込めた歌に対して、実資は返事をくれることもなく、周囲の公卿に唱和させた。これって「私、さびしいんです!」という呼びかけに対して、誰一人慰めることなく「『私、さびしいんです!』って言ったのかー」って応えたようなものなので、そう考えたらなかなかの地獄絵図だ。

実資(秋山竜次)に返歌を求める道長(柄本佑)だが… (C)NHK

■ 道長とまひろが結ばれたあの満月の晩…銀粉は伏線だった!?

こうして語ると、なんだか可愛そうなものに思えてきた「望月の歌」だが、道長くんにとって救いだったのは、まひろだけは彼の本心を読み取ったうえで「私だけは、あなたを信じて見つめつづける」というような目線で応えてくれたことだろう。

道長(柄本佑)を見つめるまひろ(吉高由里子)(C)NHK

第10回で、初めて2人が結ばれた満月の晩に「良い政のために出世をする」という目標を道長に与えたまひろ。そして道長は約束通り、これまで誰も立ったことがないような権力の高みに到達した。そう考えると、詠った後にまひろに向けた道長の表情は「どうだ、約束を果たしたぞ!」と、ちょっと自慢するような感じにも見えた。

まひろ(吉高由里子)を見つめる道長(柄本佑)(C)NHK

そんな道長の頭上に降り注ぐのは、あの満月の晩に廃屋に降り注いでいたのと同じ、キラキラとした銀色の光・・・2人にとっての最高の夜を思い出すと同時に、まさに道長こそがまひろにとっての「光る君」だったという、その結論に至ったことを暗示させるビジュアルだった。前述の第10回と今回の第44回は、どちらも銀粉使いの達人・黛りんたろう監督の演出回だったが、第10回で銀粉を使ったのは、もしかして今回の伏線をすでに貼っていたのだろうか?

『光る君へ』第10回より、まひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)の濃密なラブシーン (C)NHK
『光る君へ』第10回より、まひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)の濃密なラブシーン (C)NHK

■ SNSでもさまざまな解釈が語られた『光る君へ』の「望月の歌」

藤原道長という人物を、これまでの権力大好きな剛腕政治家ではなく、本当はのんびりした心優しい人間が、ちょっとした見え方の違いと、強引さと表裏一体の真っすぐさによって「悪人」と思われるようになった・・・という視点で描き出した『光る君へ』。そうした積み重ねを経て「さてあなたには、結局藤原道長はどういう人間に見えましたか?」という一種の最終試験になったのが、この「望月の歌」だったように思える。

月を見上げるまひろ(吉高由里子)(C)NHK

その結果SNSでは、本当にいろんな人がいろんな解釈を語っていて、チェックして本当に楽しかった。これほど「望月の歌」の読み取り方を、何10倍にも膨らませてみせただけでも、このドラマが放映された意義があったと思う。

『光る君へ』はNHK総合で毎週日曜・夜8時から、NHKBSは夕方6時から、BSP4Kでは昼12時15分からスタート。11月24日放送の第45回「はばたき」では、まひろと道長の間にできた娘・賢子(南沙良)が宮仕えを開始するところと、「宇治十帖」を書き終えたまひろが旅に出るところが描かれる。

文/吉永美和子

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