神戸の避難所で生まれ、歌い継がれる『満月の夕』あれから30年

ライブハウス「磔磔」で行われた『つづら折りの宴〜あれから30年』の様子(2025年1月19日/京都市下京区)
阪神淡路大震災の発生から30年を迎えた1月17日。2019年以来となる神戸市長田区でライブをおこなったソウル・フラワー・モノノケ・サミット。その日の模様については既報のとおり(「ただいま私たちの故郷」30年目神戸長田に集う人、響く歌)だが節目の年のライブを終えたところで、その中心人物のひとりであるソウル・フラワー・ユニオンの中川敬に当時のことを改めて振り返って語ってもらった。
ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの結成に至る経緯から、活動初期のライブにおける濃密なエピソード。そして神戸で生まれ、東日本大震災の被災地などでも復興を願い歌い継がれる『満月の夕(ゆうべ)』誕生の背景、そして現在の世の中にも有効な教訓など・・・。30年の時を経た今こそ、改めて次の世代へと語り継がれていくべき、中川のリアルな体験談に耳を傾けてみてほしい(取材・文/吉本秀純)。
■ 震災発生から30年、「1.17KOBEに灯りを in ながた」でフリーライブ

──1月17日に阪神淡路大震災からちょうど30年というタイミングで新長田駅前でライブをされて。節目の年ということで、いろいろ思うところもあったのではないかと。
そうやね。まず30年というタイムスケールにビックリするよね。ずっと人前で歌うことを続けてるから、いつまでも自分が若いような気がしてて(笑)。たぶんロック・ミュージシャンってそんな職業やと思うけど。それと、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットはずっと神戸の避難所や仮設住宅でお年寄りを相手に、民謡とか明治~大正の流行り唄をやるという明快なコンセプトがあったバンドなので、やっぱりあの頃に聴いて喜んでくれた人たちはもう、かなりこの世にいないねんなー、と。
──なるほど。30年というのは、それくらいの時の流れですよね。
当たり前のことを喋っているなと思うけど、普段はそんなこと考えないでずっと音楽をやってるからね。そういう意味では、今回はちゃんと振り返りながらライブをやれたかな。あの時に仮設住宅で大笑いしていたお婆ちゃんが当時で80歳くらいなら、今はもういないねんな、とか。110歳くらいでまだ生きてる人、いるかもしれんけど、当時80歳前後やった人らって、もうほぼいないよね。俺もその時は28歳とかやったわけやからね。
──そうか、当時の中川さんは28歳だったんですね!
若者やで(笑)。だって、ニューエスト・モデルを解散させたのが27歳の時やもん。いまだにニューエスト・モデルの曲をやってくれ、とか言われるけど(笑)。

■ 阪神大震災発生から一週間「被災地に歌いに行かへん?」
──当時を少し振り返ると、94年10月にソウル・フラワー・ユニオンとして2枚目のアルバム『ワタツミ・ヤマツミ』をリリースし、バンドとしては沖縄やアイヌの民謡を含む日本各地の音楽も独自のアプローチで消化しながら、さらにその先へ進んでいこうとするような時期だったと思います。
簡単に言うと、自分たちの土台になってる英米のロック、パンク、ソウル・ミュージックと、いわゆる日本列島の土着の音楽をなんとか融合させることができないかな、という発想がまずあった。しかも、パンクやニューウェイヴを通ってきた俺らの世代特有のやり方や感覚でね。
だから、日本列島周辺のヤマト民謡、沖縄民謡、アイヌ民謡、もちろん俺らの周囲には在日の人も多いから、そこに朝鮮民謡も入ってくる。そういうのをうまく融合させることできないかということを、20代半ばの頃に考えていた。で、三線も遊びで弾き始めてて、そういう最中で、いきなり震災が起こって・・・そういう時系列。

──はい。今となってはナチュラルに聴こえるかもですが、当時のソウル・フラワー・ユニオンが示し始めていた方向性はロック・バンドとして極めて独特のものでした。
これは奇遇なんやけど、震災の1カ月くらい前(1994年12月)に「魂花神社」と称してる俺の自宅の作業場(兼スタジオ)で、当時のベースの河村(博司)と一緒に遊びで明治~大正の壮士演歌の曲を練習したりしてたんよね。『東京節』とか『ラッパ節』とか『カチューシャの唄』とか。俺が三線を弾きながら歌って、河村は遊びでヴァイオリンを弾いてた。
そこに、1月17日にあの震災が起こって、一週間くらい経った頃に、ヒデ坊(メンバーの伊丹英子)が「被災地に民謡を歌いに行かへん?」って言い始めてね。「せっかく私ら民謡とかにハマってんねんから、PAとかもナシで。避難所ってお年寄りとか、いわゆる働き盛りの世代以外の人らがいる時間が長いやろうから、娯楽が必要な時期が来たら呼ばれるんちゃうかな」って。
──地震発生から一週間後ということは、1月25日くらいですね。
それで、俺は三線の練習や選曲を始めて、ヒデ坊はいろんなボランティア団体や行政に電話をして、「お年寄りの娯楽とかが必要な時期が来たら電話をください」と連絡を始めて。俺はとにかく三線の弾き語りで歌える曲を増やしていって。
でも、ある種プライドが高いロック・ミュージシャンやから、コード進行や曲の構成は絶対に自己流じゃないとイヤで、アレンジの日々でもあった。もちろんいろんな音源にも当たったけどね。この曲は都はるみが歌ってるからそのCDを買おうとか、河村のお母さんが当時八尾でスナックをやってたから、手元に音源がなかった『十九の春』を歌ってもらおうと八尾まで行って、それをカセットに録音したり(笑)。当時は今みたいにYouTubeのような便利なモノはなかったからね。
そこから始まった。ただ、驚いたのは、2月5日くらいの段階で、「来てほしい」ってジャンジャン電話が入り始めて。必死に、弾き始めたばかりの三線を練習してる俺としては、「早い!」と思ったよね(笑)。

■ 初めて避難所で演奏「音楽人生におけるターニングポイント」
──練習を始めて、まだ2週間も経っていない頃ですもんね。
寝る間も惜しんで練習はしてたけど、実際現地で演奏するのは1~3カ月ぐらい後かな、と思って作業に入ってたから「もうやらなアカンのか!」って焦ったよね(笑)。で、2月10日ですよ、1本目が。灘駅の近くの青陽東養護学校が地域の避難所になってて、そこに2000人が避難してた。そこの4階の踊り場みたいなスペースに椅子を並べた場所で、200人くらいを前に初めてやることになってね。
数年前にNHKに取材された時に、当時の情報をもう1回ちゃんと調べ直しておこうと思ってわかったことやけど、19曲もやってたわ(笑)。もちろんPAなしで演奏して、喋って、ということをやったわけやけど、ありがたいことにこれがウケた。それが何よりも一番大きかった。そこでウケなかったら、その後の5年間の活動もあれほどのこと(約200本の慰問ライヴ)にはならなかったと思うし。まあ、ホッとしたよ。
──どんな反応が返ってくるのが、まったく読めない状況だったでしょうし・・・。
避難所っていう場所は、家族全員を亡くしたような悲痛な体験をした人もいれば、家が半壊ぐらいの人もいる。被災者って一口に言うけども、そこに向かって歌を歌ったり喋ったりするというはね、28歳のパンク歌手にとっては、やっぱり最初かなりの緊張感があった。笑ってもらうにしても、どういう笑わせ方がエエのかとか・・・。
だから、初日にウケたというのはすごく力をもらったし、たぶん中川敬にとって、今に繋がる音楽人生における一番大きなターニングポイントやったと思う。それまではライブハウスとかコンサート・ホールで、基本的に俺が何者であるかをある程度は知っている人たちが集まっている空間で音楽をやるわけでしょ? それはハッキリ言って「守られてる」わけですよ、ある種。それが、やっぱり避難所で歌うというのは、いきなりムキ出しの自分でそこに立たなアカンという感じがあったね。

──初回のライブで、もうそれくらいのインパクトがある経験だったんですね。
そこでいきなり19曲も演奏して、『安里屋ユンタ』とかも大合唱になって、俺が喋るしょうもないギャグとかでもみんな大爆笑してくれて。で、ホッとして楽器を片付けていた時に、あるオバちゃんが近づいてきてね。
私は今回の震災で、子供も旦那も家も全部なくして独りぼっちになってしもうたんや。でも、この地域はそんな人ばっかりやから、私はずっとボランティアをやってきた」って話しかけられて。たぶん炊き出しとかを手伝ってたんやと思うけど。だから、「泣きたくてもずっと泣くこともできずにいたけど、さっきアンタが歌った『アリラン』でやっと思いっきり泣くことができたわ、ありがとうな」って言われてね。
何より、当時の俺は、自分が歌う曲で、聴いた人が泣くっていうことがまだ全然想定できなかった頃で。それまではかなりパンク的な世界にいたからね。そういう個人的なことも含み併せて、俺にとって衝撃的な言葉やった。で、俺は「元気でおってな。また来るし」みたいなことを言ったんやろうけど、そのオバちゃんは俺の表情を見て取ってニカッと笑いながら俺の背中をポンと叩いて「兄ちゃん、頑張りや!」って言ったんよね。それで、帰りの車の中でメンバーに「この活動を続けよう」と言った。ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのその後の活動の背中を押してくれたのは、あのオバちゃんやったと思うね。
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