山の上で本格餃子、神戸の「月見茶屋」が100年の歴史に幕

2023.11.9 08:00

右手が月見茶屋の建物。左手のテラス席ではよく猫たちの姿を見た

(写真20枚)

■ 前の店主から引き継いで29年「とにかく大変だった」

今日はもう飲み物しかないというので(飲み物はお客さんが冷蔵ケースから取ってきて、空き缶も自分で捨てるルール)、その分、川本さんのお話しをゆっくり聞くことができた。お客さんが私だけになった時間もあって、なんとも贅沢だった。

奥の厨房の川本さんが餃子を焼いてくれていた

川本さんがこの「月見茶屋」を前の店主から受け継いで、今年で29年になるという。千葉県に生まれ、東京で育ったという川本さんは若い頃から山登りが好きで(川本さんを「元祖山ガール」と表現しているニュース記事を見たことがある)、東京の登山会に所属して関東の山々をめぐっていたらしい。

その後、神戸出身の旦那さまと知り合い、ご本人いわく「東京へ戻るはずやったのに」神戸に長く暮らすことになり、もとはご夫婦揃って常連客だったという、この「月見茶屋」を受け継ぐことになった。「やり手がいないゆうて頼まれてな」と、仕方なしに始めたのだったが、当初はとにかく大変だった。

あたたかい日差しが入って来る窓

「引き受けて8年間は水道もなかったからな、水まで2人で運んどってん。トイレの汲み取りまでポンプでしたりね。その頃はどこの茶店も水道がないから天水(雨水)を貯める桶があってね、それをろ過して電気であげてた」。

それから29年が経ったが、数年前まではご主人が店で売る瓶ビールや灯油やプロパンガスを背負って山の上まで登ってきていたという。店の前には「餃子」と並んで「ラーメン」の提灯も吊り下げられているのだが、スープを作るための大きな鍋が背負えなくなるまではラーメンも出していたのだとか。

かつてはラーメンもメニューに並んでいたという。食べてみたかった

「この辺の山はほとんど行き尽くしとるわな」という川本さんにとっては、低山である高取山は「地元の人のレクリエーションの場」だった。「通勤前に朝バーッと(高取山まで)来て帰って、シャワー浴びて食事して出勤してな。そういう場所。昔は遊びがなかったからな」。

川本さんが引退した後の「月見茶屋」については、ここに来る登山会のメンバーが今までとは違う形で活用していくことになるらしい。土日祝日に限って茶屋として営業するようなこともあるかもしれないが、どちらにせよそれは川本さんにとってはあずかり知らぬことだという。

新聞などのメディアにも幾度となく取り上げられてきた

「月見茶屋」の建物について川本さんが「結構立派やで。あの地震でも耐えたもん。釣り天井になってて、梁がいっぱいあんねん。こんだけ広いのに柱一本ないでしょ」と言うのを聞くと、なるほど、年季の入った建物には見えるが、こうして長く残り続けているのだから相当頑丈に作られたのだろうと改めて思う。

急に決まった引退のタイミングについて聞くと、「来年(2024年)の11月23日でちょうど30年になるし、区切りやからそこまではと思ってたけど体力がもてへんかった。主人もしんどそうやし、退け時やなゆうてな。決めるときはちょっと寂しさがあったけどな。表の張り紙書くとき、筆を持った手が震えた。うるっときてな」とおっしゃった。

貴重なお話を聞かせていただき、缶ビール代をお支払いして、閉店の張り紙をもう一度じっくり見て帰ることにした。

「月見茶屋」からもうひと頑張りして登る高取神社からの景色はいつ見てもすごいなと思う
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